18歳になった「MOTHE3」

 さっきとても久しぶりに「MOTHER3」をクリアしてきた。
先週くらいにひとり用でのんびり遊ぶゲームが無くなって何をやろうかと探していて「Nintendo Switch Online」を適当に眺めていた時にふとやりたくなったからだ。


そしてなんともタイミングのいいことで始めたときはまるで意識していなかった、というか知らなかったことだけど18年前の4月20日がちょうどこのゲームの発売日だったみたいで今年で18歳を迎えるとのことだった。
タイトル一覧を見ていた時に何故だかこれに惹かれた理由ってもしかしたら……と自分でも話が出来すぎていて笑ってしまうような出来事だけど、このゲームにはそういう魅力というか魔力みたいなものがあると言ってもよいのではないかとも思う。

まさしく「奇妙で、おもしろい」出来事だったし、あれから18年という時間の経過に対して「そして、せつない」感情を抱いたのも事実。
あの時まだ小さな子どもだった自分もすっかり大人になってしまった。

有名作品なだけあって特に内容を忘れたということもなく物語自体はほとんど記憶のまま進んでいたけれど、子どもの頃と違いフリントやヒナワを始めとして周りのキャラクターたちの心情がより理解しやすくなったことで物語の深みが増して最後までやる頃にはすっかり泣いてしまうことも多かった。
昔は悲しいという感情はあっても涙まではいかなかったな……。

さらに物語に対する解釈とか、そこに至るまでの考察とかも大人になった今だからこそ考えられるものは多い。
特に「MOTHER3」はEDがはっきりと示されておらず、なんとなくみんな無事なのだけはわかるという明るい(?)終わり方が特徴的だ。
そもそも物語の舞台である「ノーウェア島」がどんな場所なのかわからないし、あの島の外の世界は存在していないと言われても理解しにくいのでリュカが針を抜いて出てくるドラゴンがどんなものなのかすらもわからない。
何もわからないことばかりだけど、はっきりとわかるのは最後にタイトルがもう一度出てくる場面での変化。


起動時のタイトル画面だとロゴはメッキが剥がれて中身が露出してしまっている金属のような冷たさだけど、ED後のロゴは文字は木で覆われはっきりと地球の存在も確認ができる。
1、2ともにOの部分は地球になっているのは共通だったけど、3でそれを確認できるのはED後だけ。
久しぶりにクリアしてみて感じた程度のことだけど外の世界が存在していないという「ノーウェア島」は起動時タイトル画面の銀色の地球のどこかにあるんじゃないかと思った。
タイトル画面の銀色の地球が物語の舞台だったとするならば、クリア後に表示される見慣れた青い惑星はきっとリュカの願いによってドラゴンが作り出した元の地球の姿なんじゃないかと考える。
かつて破滅から逃げてなんとか生き延びた人たちが元の綺麗な地球への帰還を果たす、非の打ちどころのないハッピーエンド。
それだけの力があればクラウスやヒナワを蘇らせることもできたはずだけど、そこはきっとあるがままを受け入れてリュカは自然の成り行きに任せていると思う。

一瞬見えたあの真っ暗な世界は新しい世界を生み出している過程で一時的に避難していた世界、プレイヤーのことを認識していることからゲームと現実世界の間くらいの世界にみんないたんじゃないか。
なんて考えるのも面白いかもしれない。

そしてリュカが願った新しい世界にはポーキーもいるんだよね。
「ぜったいあんぜんカプセル」に入ったままではあるけれど、彼はまだ生きているから。
憎んで当然の相手ですらあるけど、リュカはそれすらも乗り越えられる優しさを持っている。

最後にたどり着いた世界では野望こそ阻止されたものの存在そのものを拒絶されることはなかった……それはポーキーにとって初めてのことだったはずだし、嬉しそうに転がっているというのはきっと本当のことだったんじゃないかな。
「ぜったいあんぜんカプセル=ちえのりんご=2のギーグ」説も嫌いではないけど……改めてこの物語を追いかけたらその先にあるものは全員のハッピーエンドしかないと改めて思えたんだ。

なんて、色々と新しい想いがたくさん溢れてくるくらいにはまた心を動かされたゲームの話でした。
今とてもハマっている作品たちも、同じように時間が経ってから想い返したら今とは全然違う感情が浮かび上がって来るんだろうなぁ。
その時は大人をさらに超えておじいちゃんになっているかもしれないけれど。

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